埼玉新聞「月曜放談」
2005年(平成17年)10月31日(月曜日)
もう待てない、くぬぎ山自然再生

 武蔵野の平地林で一番大きな緑の塊は「くぬぎ山」。残念ながら黒い煙で社会問題になった。平成十三年五月、「新たな自然再生の公共事業を検討」との新聞を見て、環境省に問い合わせると「来年度から行いたい」。それならと急いで環境大臣に面会し、六月十三日「おおたかの森で自然再生事業を」と要望書を直接手渡した。六月十七日、環境省は「くぬぎ山」一帯を全国のモデル地域に指定し、政府、地方自治体、市民団体による「くぬぎ山自然再生事業」の実施を固めた。
 十四年七月、埼玉県は、県知事の委嘱を受けた市民団体と市民、行政による「くぬぎ山自然再生計画検討委員会」とワーキンググループを設置し計画策定を開始。市民の動きは活発であった。「緑のくぬぎ山を創る会」は焼却業者へ操業中止の仮処分を起こし、結果、2ヶ所の処分場が移転し、跡地は狭山市が購入した。今、この再生地は、市民の植えた松やクヌギの苗が大きく育っている。私たちも募金を集め、くぬぎ山の土地を一部買うことができた。
 一方同検討委員会では「くぬぎ山全域の緑は緑地保全地区指定、産廃施設や資材置き場は都市公園法の活用」と「自然再生推進法による自然再生協議会の設置」が決定した。順調に計画を策定していた委員会が、最終回に思わぬ方向に動いた。十五年三月、県の作成した冊子は「くぬぎ山自然再生計画検討委員会報告書」となっていた。誰もが目を疑った。計画書を作ったはずが報告書になっていた。単なる報告書では行政の実施計画に反映できない。会議の中で、福岡克也委員長に何度も『計画書』であることを確認し、委員長も計画書だと答えていたのに。事務局の県職員は「委員長が了解した」との一点張り。不安は的中した。一年半後の十六年十一月、やっと、くぬぎ山自然再生協議会が設置され、全体構想からの協議となり振り出しに戻ってしまった。それでも十七年六月の第4回協議会では、特別緑地保全地区と都市公園の導入の方針が改めて決定されたが、十五年三月に同じ結論が出ていたので、二年半のロスとなった。本来なら施設が撤去され緑が甦っている。第5回協議会は八月下旬の予定であったが、いまだ連絡がない。決めたことを守れない県職員のモラル、企業であればとっくに倒産している。
(おおたかの森トラスト代表:足立圭子)

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